【ワールドカップ】月よりも遠い場所
- Keiji Takemura
- 1 日前
- 読了時間: 5分
ワールドカップ、日本対オランダ戦。
ヨーロッパの雄であり、明らかに格上の強豪を相手に、日本は二度のリードを許した。
しかし、試合の最終局面で底力を見せ、泥臭く同点に追いついてドローに持ち込んだ。
思い返せば、前回のカタール大会でドイツやスペインを撃破し、今回のアジア予選も危なげなく突破した。
今大会の初戦、あのオランダと互角に渡り合う姿を見て、確信に変わる。
「日本は、本当に強くなった」
もう私たちは、世界の強豪国の扉を叩いているのではないだろうか。
テレビで見ているだけの観客としては、気楽に歓声をあげるばかりだ。
しかし、どうして日本はこれほどまでに強くなれたのだろうか?
優れた選手が突然変異的に育ったからか?
森保監督が優秀だからか?
あるいは、組織に潤沢な資金があるからだろうか?
今回の日本代表メンバーの「構成」を調べてみた。
ゴールキーパーの控えと、ベテランの長友佑都を除き、26名中24名が海外のクラブに所属している。
その構成比は、実質「国内組7%:海外組93%」。圧倒的な海外勢だ。
なるほど、これなら強豪を相手に気後れなどするはずがない。
普段から欧州のピッチで競っているライバルたちと、舞台を変えて戦っているだけなのだから。
しかし裏を返せば、Jリーグが貧弱だということではないだろうか。
一方で、年代構成は驚くほど緻密に練られていた。
30代(ベテラン):3名
20代後半(全盛期・主力):11名
20代前半(若手・即戦力):10名
10代(次世代):2名
経験値の高いベテランが精神的支柱となり、脂の乗り切った主力(1998年生まれの堂安・上田・冨安らの世代)が核を担い、未来を背負う若手を引き上げる。今勝つことだけでなく、未来の日本サッカーをも見据えた、非の打ち所がないバランスの配置だ。
これだけのデータを見ると、一見「日本の国内リーグのレベルはまだ低く、単に海外へ選手が流出しているだけではないか」と思ってしまうかもしれない。
しかし、事実は全く逆だった。
現在の日本代表の強化プロセスは、33年前のJリーグ発足当時からすべて緻密に計画されていたのである。
かつて、1993年に産声をあげたJリーグは、ジーコやリネカーといった海外の有名老齢選手を大金で獲得する「消費のリーグ」だった。
しかしそれは、世界を知らない日本に一流のプロ意識とフィジカルの基準を植え付けるための確信犯的な「経験値のインポート」だった。
同時に、彼らは「指導者の育成」という土台作りにも着手していた。
指導者のレベルを底上げするため、Jリーグ独自の厳格なライセンス制度を導入した。
そして今、Jリーグのアイデンティティは
「若い才能を世界へ送り出すための、超高精度な育成プラットフォーム」
へ変貌している。。
各クラブにユースやアカデミーなどの下部組織の保有を義務付け、世界で戦うために必要なフィジカルや戦術の基準を数値化・明確化した。
選手と組織は、育成段階から「Jリーグで頭角を現し、20代前半で海外へ行く」というキャリアのロードマップを共有している。
トップクラスの若手は、最初から海外を照準に入れているということだ。
このあたりは日本のプロ野球と全く逆の体質である。
さらに、組織の外交力も進化した。
日本サッカー協会は、欧州の強豪クラブとの間に強固なパイプを構築すべく、ドイツにエージェントが駐在する拠点を置いた。
そして海外のスカウトがJリーグへ若い才能を直接買い付けに来るルートを確立した。
こうして「良い指導者」「有力選手の海外挑戦」「若手の抜擢」のサイクルが回ると、今度は若手を放出した国内クラブに莫大な「移籍金」が還元されるようになる。
この資金を元手に、国内クラブの経営は安定し、さらなる育成設備や指導者の質向上へと再投資される。
整った環境で育てた苗(若手)を、さらに栄養豊富な畑(欧州主要リーグ)で大きく育て、実が熟したら代表や国内に戻して、次の種を育てる。
この洗練された合理的な選手の循環システムこそが、今の強さを築いていたのだった。
『2050年までにワールドカップで優勝する』
1993年、日本サッカー協会がJリーグをスタートさせたときに掲げたビジョンだ。
日本代表は突然強くなったわけではない。
33年前に蒔かれた種が、漸く実を結び始めたのである。
世界基準のクラブを国内に作るために海外のスターを呼び、強豪国から監督を引き抜き、選手と指導者を植え、移籍金で国内を潤す。
アジアの片隅にあったサッカー後進国が、本気で世界を制覇するためのグランドデザインを地道に実行し続けている。
人類で初めて、本気で月に行こうと思ったのはアメリカ人だった。
「アポロ計画」は、その始まりからアームストロング船長が月面に降り立つまで11年かかった。
しかし、日本サッカー協会がワールドカップ優勝のために用意したのは、実に60年とういう年月だ。
日本にとってワールドカップ優勝は、月より遠い場所にある。
かつて、中田英寿が、本田圭佑が、「ワールドカップ優勝」という言葉を口にするたび、冷ややかな目で見られていた。
しかし彼らは、本気でそのタイムラインのなかに生きていた。
そして今、二度追いついたオランダ戦の余韻の中で、私たちは確かに感じ始めている。
あの言葉が霧の向こうに見え始めているという予感を。
きっといつか見られるだろう、頂上の景色が。

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